共謀罪に抗して

提供: Anti-surveillance
移動先: 案内検索

人間が文字や絵による表現を獲得した太古の時代から19世紀まで、人々は表現の手段として紙やペンを用いる場合であれ、グーテンベルクの印刷機械を用いる場合であれ、その仕組みはほとんど透明なもので、誰にとっても容易にそのメカニズムを理解することができた。むしろ、最も困難だったのは、「文字」そのものを理解することだったかもしれない。文字自体がある種の「謎」めいた暗号のようなものだっただろう。こうした人類史のほとんど全てを覆いつくしてきた、表現の手段、伝達の手段の透明性が急速に失なわれて、多くの人にとってコミュニケーションの仕組みそのものが謎めいたものになったのは、電信の発明以来のことだろう。電話、ラジオ、テレビといった放送や通信の道具は、写真、映画とともに、その仕組みを理解することが容易とはいえないものだった。そして、コンピュータがコミュニケーションの手段として急速に普及しはじめた20世紀後半以降、この謎めいたコミュニケーションの道具がコミュニケーションの支配的な座を占めることによって、コミュニケーションの内容そのものをこの不可解な道具たちが支配するようになった。

このことは、コンテンツの作り手自身が、その道具の詳細を知りえないところに置かれているということを意味している。画家が絵の具や筆の素材に興味を持ち自らその道具を制作したり、物書きが原稿用紙やペンにこだわり、その仕組みを知ろうとすることは不可能ではなかった。しかし、近代という時代は、こうした自らの帰属する心身に関わる多くの知識を個人から奪い、機械や外部の制度へと委ねた。病気になっても体のことはわからず、心をコントロールする術ももてないように、人々はコミュニケーションをコントロールする手段がいったいどうなっているのかも理解しないまま、その利便性という悪魔の誘惑に身を委ねてしまった。近代は個人主義の時代であり、個人の自由を獲得できた人類史上最初の文明であるという宣伝文句は明らかな神話であり罠ですらあった。自由は手に入れたが、その自由を行使するには、統治機構や市場が提供する制度やシステムや外部の知識が不可欠なところに追いやられた。その典型が、現代であれば、ネットワークの技術だろう。コミュニケーションの自由を再度取り戻すには、まず、私たちが否応なく依存しているネットワークの技術を取り戻さなければならない。以下のマニュアルはそのためのささやかなで道標ある。

日付: 2017年10月23日
著者: 小倉利丸

共謀罪から私たちの権利を防衛する:パソコンを使ったコミュニケーションを例に

共謀罪の何がリスク要因か

共謀罪は、残念ながら、安倍政権の強行突破によって、成立してしまった。共謀罪への危惧は、一言でいえば、実行行為とは関係なく、刑法で懲役4年以上の刑を定めた犯罪に関わる「計画」と捜査当局が判断した事柄を網羅的に罪に問うというものだ。物品や資金の調達だけでなく場所のなど捜査当局が「準備行為」とみなせば何でも含まれる。明日の行動のために今日やる準備といった短期的なことがらだけではなく、今は何ら犯罪とは関係ないと思われる言動も将来の様々な言動と関連づけられて、共謀罪の証拠の一部を構成することになるかもしれない。10年、20年後に実行されるかもしれないような大それた事案(たとえば「内乱罪」などはその例かもしれない)も念頭に、権力者はその言動を子細に監視し、情報収集できる法的な枠組を獲得したのだ。

治安維持法の時代との違い

共謀罪は治安維持法の再来として批判されてきたが、実態は戦前とはかなり違ってきている。特に、インターネットなどのコンピュータを介したコミュニケーションが与える影響は戦前にはないものだ。実世界の私たちの行動にへばりついて、四六時中監視することはさほど意味のあることとは考えられない。私たちがどこにいるのかは、尾行しなくても常時持ち歩くスマホのGPSが教えてくれる。車に載ればNシステムが追跡する。ネットのメールやSNSでのコミュニケーションは通信事業者のログでほぼ把握できる。ウエッブで内閣、警察、自衛隊から企業までどこをチェックしても、必ず相手のサーバはこちらの行動を伺う技術を持っている。街中の監視カメラも次第に、ネットワーク化され、顔認証システムが搭載され、データベースと連動するようになっている。

膨大なデータを処理するのも人間ではなくコンピュータだ。たった1ギガのメモリに日本語A4で40万枚から100万枚もの文書が収録できる。8ギガのメモリがたったの1000円程度である。しかも、政府やマスコミが警鐘を慣らす「サイバー攻撃」なるものの攻撃者になっているのは、どこの国でも政府、警察、軍隊であり、その攻撃の的は国内にいる反政府運動活動家や人権活動家なのだ。

個人情報の監視・盗聴リスクは飛躍的に大きくなっている

戦前も戦後も、日本であれ国外であれ、反政府運動(ささやかな住民・市民の異議申し立てであれ全国規模の運動であれ)の参加者の個人情報を政府や捜査機関、諜報機関は収集しようとしてきた。データが紙で管理されていた時代と異なり、コンピュータがネットワーク化され、さらに膨大な個人情報が官民問わずデータベース化されている時代では、名前と住所のデータは、これを踏み台にして、住民票の取得やマイナンバーの取得などから、芋蔓式に大量の個人データを収集することが可能になっている。捜索・押収令状によって、パソコンがまるごと押収されることが当たり前になっている現状では、会員名簿やニュースレターの購読者名簿、集会参加者名簿などは、大量の情報収集を可能にする糸口となる。

日本の法体系では、プロバイダーへの捜査機関などの情報提供については、守秘義務の例外として幅広く捜査に協力し、ユーザのプライバシーの権利がきちんと守られないとしかいえないようなプライバシーポリシーを掲げているところも多い。私たちの知らないうちに、メールが盗み読みされたり、クラウドに保存されているデータが読まれているかもしれない。こうしたリスクにきちんと対応することが、憲法が保障しているわたしたちの言論、表現、結社の自由や検閲されない権利を防衛するために是非とも取り組まなければならないことである。

企業では、こうした個人情報(企業ならさしずめ顧客データというだろうが)のセキュリティは何にもまして重要事項という認識があるが、プライバシーや反監視運動、共謀罪や秘密法に反対してきた市民運動など草の根の運動は、なかなかセキュリティを防衛するための具体的な方策をとれるところまで手がまわっていないところも多いと思う。弁護士や労働組合でもそうかもしれない。盗聴法、共謀罪、秘密保護法、これらの悪法に対抗するためには法律の廃止は必須だが、私たちの権利を防衛するための技術的な対抗手段が可能だということを是非知ってもらえればという思いを込めて、このサイトが作られている。

情報を渡さない!

このような時代に私たちが自由を獲得するためには、少なくとも彼らに情報を渡さないことが一番重要なことになる。ここでは技術的に詳細なことを書く余裕はないが、たとえば次のようなことを是非実践して欲しいと思う。

  • ガサ入れされても「サイバー攻撃」されてもデータを読まれないために、重要なデータを暗号化すること。
  • 情報収集のためのネットアクセスを追跡されないように、匿名でのネット利用を工夫すること。
  • プロバイダーのメールサーバに蓄積されたメールは暗号化されていない。重要なメールのやりとりには、暗号化されたメールサーバのサービスを使うこと。

などだ。

世界中の人々が政府や企業から私たちの自由を防衛するために工夫しはじめている

上記のようなことは購入したパソコンをそのまま使うことでは実現できない。パソコンやスマホのログインパスワードは容易に解除できるので権力から私たちのセキュリティを防衛する手段にはならない。インターネットの回線もできれば、暗号化された回線サービスを使う方がいい。こうしたいくつかの工夫は、簡単なものからやや難易度が高いものまである。こうしたセキュリティ防衛手段は、とっくに企業などは実施しているあたりまえのことになっている。世界中で、人権弾圧の厳しい国では、こうしたノウハウを活動家、人権団体、弁護士たちが共有し、それをネットの技術者たちが支援するという体制が工夫されてもきている。スノーデンの内部告発以来監視問題への関心は高まったが更にトランプ政権成立以降、暗号化メールサービスを使う人たちが急増しているともいう。しかし、日本での取り組みはまだ十分ではない。

パソコンやネットが苦手な人たちも多いのだが、こうしたノウハウを紹介するのがこのMediaWikiの目的である。まだ内容は不十分だが今後皆さんの意見や要望も入れて充実させたいと思う。ぜひ参考にしてください。

(2017/11/6 全面改稿、12/9一部加筆)